2015/01/28

記事紹介:イスラム過激派の脅威 「テロ思想」強まる拡散懸念 池内惠 【日本経済新聞:2015/01/27】

《イスラム過激派の脅威 「テロ思想」強まる拡散懸念 池内惠
【日本経済新聞:2015/01/27】
 
 フランス・パリでの『シャルリエブド』紙襲撃事件やシリアとイラクでの過激派武装組織『イスラム国』の伸長、そして邦人の人質略取と殺害通告・脅迫が続き、イスラム世界と理念にどう向き合うかが、国や社会、個人に逃れられない課題となっている。



 全世界のイスラム教徒の大多数は、平和を望み法を順守する市民である点で他の宗教や無宗教の人々と変わらない。問題は教義に含まれる政治・軍事的な規範であり、その特定の解釈を強制力(ジハード=聖戦)で実践しようとするイデオロギーである。イスラム教の根幹はイスラム法にある。内面的な宗教信条よりも幅広い、権力と支配に関わる領域にも規範を示し、宗教集団間の序列・支配関係で成り立つ国内・国際秩序の理念を体系化している。7~12世紀を中心に、イスラム教の創立と拡大期の社会・政治情勢を反映したものだ。アラビア半島で多神教徒を制圧し、キリスト教徒やユダヤ教徒を主に交渉で支配下に置いた経緯は神の言葉とされる聖典コーランや預言者ムハンマドの言行録に記されている。それが大帝国の形成過程で異民族・異教徒を支配する側の法として体系化された。
  
 その後の拡大解釈で政治や軍事の規定は有名無実化して久しい。しかし20世紀後半、一度は西洋起源の国際法秩序や人権規範を受け入れたイスラム諸国で、外来の規範を排除し再びイスラム法を施行しようとする潮流が広まった。問題は、法から逸脱していると解釈される現状を撤廃するために、武力によるジハードを信仰者の義務だと唱導するジハード主義の伸長である。通説的な法学解釈によれば、イスラムの支配に服従しない異教徒がジハードの対象になる。当初はジハードを組織し指導する義務をおろそかにしているとされたイスラム諸国の『不正な支配者』が標的となったが、武力衝突の末に封じ込められた。国外流出したジハード戦士は1979年に始まるソ連のアフガニスタン侵攻に対抗する義勇兵として結集し、現在のグローバルな運動の核となった。
 
 ソ連撤退後、目的と活動の場を失った戦士は90年代、故国で政権との闘争を再開したり、ボスニア・ヘルツェゴビナなどイスラム教徒が関係する民族紛争に加わったりした。各地に散った戦士らを結集したのがウサマ・ビンラディンのアルカイダだった。攻撃対象としたのが、湾岸戦争後の米国主導の『新世界秩序』である。グローバルな権力中枢へのテロによる挑戦を試みた2001年の『9.11事件(米同時多発テロ)』が、その知名度を飛躍的に高めた。事件後、米国は全力を挙げて対テロ戦争に取り組み、世界各地のアルカイダの拠点を破壊し活動家を摘発した。潜伏下に置かれたアルカイダは『組織からイデオロギーへ』の変貌を遂げた。ビンラディンやザワヒリら中枢組織の指導者は音声や映像メッセージをインターネットを通じ配信することで、世界各地の共鳴者を感化させ、扇動した。
 
 イデオロギーとしてのアルカイダは各地に独立した支部や関連組織を生み出していった。『フランチャイズ化』や『ブランド化』と呼ばれる。地図で示したように、ビンラディン側近の直系ともいえる『アラビア半島のアルカイダ』(AQAP)、ヨルダン人のザルカーウィがイラクの武装集団を結集した『イラクのアルカイダ』(イスラム国の前身)、『イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」等のフランチャイズが各地に現れた。更に、ソマリアのアルシャバーブやナイジェリアのボコ・ハラム、エジプトのシナイ半島を拠点とした『聖地エルサレムの護持者団』などアルカイダに共鳴する関連組織も生成した。アルカイダそのものの勢力や威信が衰えてもグローバル・ジハードの理念そのものは衰えず、『アンサール・シャリア(イスラム法の護持者)』といった別ブランドも出現した。他方、先進国の移民イスラム教徒の間には、大規模な武装組織化は摘発を招くため、小規模な組織を多数、相互に連絡なく形成し、夫々が自発的に象徴的な標的に向けてテロを行う、ローンウルフ(一匹おおかみ)型のジハード実践の扇動がなされた。

 この様にして、アルカイダの中枢の直接の指揮命令系統には繋がっていない、非集権的で分散型のネットワークに、グローバル・ジハードは担われるようになった。変貌した組織の原理を理論化した思想家アブー・ムスアブ・アッ・スーリーは、先進国で小規模の組織が自発的に行うテロを『個別ジハード』とし、世界各国からジハード戦士が結集して大規模に武装化・組織化することを『開放された戦線』と定義した。イスラム国は後者の戦線をイラクとシリアに見いだした。前身の『イラクのアルカイダ』がイラク戦争でフセイン政権が崩壊した後のイラク西部や北部のスンニ派地域で台頭し、反米・反新政権・反シーア派の武装蜂起を行った。米国の軍事的テコ入れで活動は何度も下火になったが、米軍撤退で息を吹き返した。11年の「アラブの春」で体制が揺らいだ隣国シリアに聖域を見いだしたことで、イラクの反政府闘争も有利に進め昨年6月には第2の都市モスルを占拠。シリア北東部ラッカやデリゾールなどの支配も固め、国境を横断した広範な領域を支配するに至った。
 
 一方、シャルリエブド紙事件は個別ジハードの実践例だろう。AQAPがスーリーに依拠しネット上で宣伝したローンウルフ型テロを、イエメンへの渡航・訓練を経て帰国した『帰還兵』が決行した。シリアやイラクに大規模なジハード組織が成立したことで、世界各地から戦闘員が集い、訓練と実戦を経て出身国に戻る帰還兵問題は深刻化している。分散型で単発のテロでも規模や殺傷能力は格段に高まった。個別ジハードと開放された戦線が相互に連動しテロの威力を増幅している。
 
 グローバル・ジハードは領域が明確でない。ジハード主義者が名乗りをあげれば、そこがジハードの場になってしまう。リビアのデルナという都市では支配的な武装勢力がイスラム国を名乗った。ナイジェリアのボコ・ハラムもイスラム国への支持を表明し、アフガニスタンのタリバンにもイスラム国へのくら替えを主張する勢力がある。地理的には勿論、組織的にも繋がりが乏しいが、イデオロギーで繋がっている。
 
 イスラム国の地理的拡大は空爆などで食い止められるが、イデオロギーの拡散は軍事力では阻止できない。イラク・シリアと地理的に連続しない各地でイデオロギーや行動モデルに共鳴する集団が勝手にイスラム国を宣言し、世界各地がまだら状に『イスラム国』になってしまう危険性を、注視しなければならない。
 
 日本ではイスラム国に共鳴した集団のテロが起こる可能性は低いが、欧米起源の自由や人権規範は深く定着しておらず、意見の異なる他者を暴力や威嚇、社会的圧力で封殺することへの反対が強くない。他者の自由の制約はやがて自分自身の自由と安全の制約に跳ね返ってくるという認識が共有されておらず、社会や体制への不満がテロの容認や自由の放棄を齎す可能性とは無縁ではない。(東京大学准教授・池内惠)


フランス・パリでの「シャルリエブド」紙襲撃事件やシリアとイラクでの過激派武装組織「イスラム国」の伸長、そして...
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