2017/07/07

報道機関は犯罪企業?

戦前は軍国主義と報道は言うが、そのように世論を煽ったのは朝日と毎日。その方が売れたからだ。
南京大虐殺も朝日の本多。慰安婦も朝日の上村。
そして今もその遺伝子が残っているのか「言論の自由・表現の自由」を楯にして、煽動記事ばかりを書いている。

それも選挙と言う、公平な選択肢を提供するのが何よりも報道の使命、と言う場面においても、政策ではなく個人を揶揄するゴシップ記事の類ばかり。印象操作と言う範疇ではなく煽動とサブリミナル犯罪レベルまで堕ちた。
 
そのマイナスの効果で、国民の暮らしをより良くする国策や方針をどれだけねじ曲げて来たか。その辺の暴力団やコソ泥などよりどれだけの損害だったか。これこそ社会的犯罪の中でも最たるものだろう。
 
政治は社会悪を排除する使命を真っ先に担っているのだが、報道に媚びへつらい、取り上げてもらいやすいテーマや表現を行う様相は、馬鹿としか言いようがない。野党の情けなさは、まずここから来ている。

一斉にプラカードを持ち、報道席カメラに向けてのアピール。キャッチコピーにスローガン。主張は15秒以内。TVカメラ写りの良い所に陣取っての演劇行為。TVニュースに一般市民インタビューとして映る、仕込み用劇団員と何ら変わりない。自ら進んでその配役を演じるのだから、むしろそれ以下だ。

それが国会内部でも、マスコミと野党の利害関係が一致する、強行採決風のシナリオによって、パフォーマンスが繰り返される。国会審議中の質問時のパネルも同じだ。野党も政策だけでは論じられなくなっている。

それらは確かに一定の効果はある。図に乗った報道と野党はさらに大勢を雇って、沖縄基地の反対運動まで、行政と、なりすましと報道で、国連まで利用しようとして失笑される始末。

森友・加計・豊洲・築地・その他の議員ゴシップ・・これら全て今現在の日本の状況を考えるうえで、どれだけ優先順位が高いのか。日本の政治の質を下げているのはまさしく報道だ。

そして「言論の自由・表現の自由」を主張しながら、それと応分の義務と責任を果たそうとはしないで戦前と同じ様な事を繰り返す。つまりは自覚も無いのだ。

一体なぜ報道が、無自覚にこうなってしまったのかを考えて見ると、ふと報道業界自体がこの疾患傾向を持っているのではないかと思い当たった。



断っておくがサイコパス・ソシオパスは差別用語ではなく症状(参考リンク)それらはそう珍しい物ではなく、確率的に1人/30人中ほどその傾向がみられる。
 
普段そう言う人は普通に混在していて、多様な人との接触によってバランスを保っているのだが、報道機関全員(あるいは大勢)がサイコパス・ソシオパスの集団であった場合を想像して見ると、妙に納得がいく。なんと、病気なのだから自分では治せない、と言う説明までついてしまう。極端な仮説・・・書いている私自身も荒唐無稽なのでそうあってほしいと思う。

だが現在、この症状傾向での影響で起きる社会的損失は、ブラック企業などとは比較にもならないほど大きい。記者の取材風景のビデオなどを見ると、これはもう放置している事がオカシイ。業界では当たり前・・になっていること自体がさらにオカシイ。

多くのソシオパスは周りが指摘する事で修正できるのにと、誰か気付けよとこうして書いている。都市のソシオパス的生活を送っていると誰しもそうなるのかもしれないが、その影響を報道を通じて日本全部が受けるのは勘弁してほしい物だ。

自ら律し、修正できないのであればそれは病気だ。「言論の自由・表現の自由」は、それらの重い責任と引き換えに与えられているもの。いつまでもおもちゃにしてると取り上げられるのも仕方がない。